いかちゃん芸人は実家を継がず夢を選んだ?父親との感動秘話!

ピュアで癒し系のキャラクターで人気を集めているお笑い芸人のいかちゃんさん。

そんないかちゃんさんですが、実家を継がずに芸人の道を選んだというのは本当なのでしょうか。

また、父親との間にはどのような感動秘話があるのでしょうか。

今回はいかちゃんさんの実家や芸人になった経緯、父親との関係について詳しく見ていきましょう。

目次

いかちゃん芸人の実家は山口県周南市で海鮮料理店を経営

出典:ナタリー

今田耕司さんにイチオシ芸人として紹介され、注目を集めているいかちゃんさん。

そんないかちゃんさんですが、実家はどこにあり、どのような家業をしているのでしょうか。

いかちゃんさんの本名は伊ヶ﨑恵さんといいます。

1996年1月3日生まれです。

出身地は山口県周南市です。

いかちゃんさんの実家は、周南市で「魚屋と食事処 いかざき」という鮮魚店兼居酒屋を経営しています。

出典:TBS NEWS DIG

父親の伊ヶ﨑一昭さんは料理人で、海鮮料理が評判の地元の名店として知られています。

いかちゃんという芸名は、本名の苗字「伊ヶ﨑(いかざき)」に由来しています。

子どもの頃からのあだ名が「いかちゃん」だったそうです。

いかちゃんさんは学校から帰ると必ず店に行き、常連客に可愛がられて育ちました。

食卓には毎食、両親が作った新鮮な魚料理が並んでいたといいます。

おやつも魚の骨を揚げた骨せんべいで、父親に連れられて魚市場に通っていたそうです。

家族構成は、父親、母親、弟2人の5人家族です。

従兄弟にはプロバレーボール選手の藤中三兄弟(藤中謙也さん、藤中優斗さん、藤中颯志さん)がいます。

いかちゃんさんの実家は山口県周南市で海鮮料理店「魚屋と食事処 いかざき」を経営しており、父親は料理人として地元で評判のお店を営んでいるようでした。

いかちゃんが実家を継がず芸人の道を選んだ理由

出典:ナタリー

料理人の父親のもとで育ち、新鮮な魚料理に囲まれて育ったいかちゃんさん。

そんないかちゃんさんですが、なぜ実家を継がずに芸人の道を選んだのでしょうか。

いかちゃんさんが芸人を志したきっかけは中学生の頃の文化祭でした。

友人数人と一緒にコントのようなものを全校生徒の前で披露したところ、みんなが大笑いしてくれて大盛り上がりになったそうです。

「こんなに人を笑顔にできるものがあるんだ」と衝撃を受け、芸人という職業の尊さを実感したといいます。

しかし、当初は「私がなれるはずない」と料理の道を選択しました。

いかちゃんさんは中村女子高等学校の調理科に進学し、高校卒業と同時に調理師免許を取得しています。

周南市から電車で片道1時間半かけて通学し、朝練のため始発で通学、放課後も部活で終電帰りという多忙な学生生活を送っていました。

ところが、学校行事でみんなの前に立つたびに芸人への想いが募っていったそうです。

高校3年の秋、いかちゃんさんは担任の先生に「芸人になりたい」と打ち明けました。

調理科の生徒が別の進路を希望するのは学校始まって以来のことだったといいます。

担任の先生は本気で向き合い、一緒に進路を模索してくれました。

そして、プロダクション人力舎のスクールJCAを発見し、プロフィール作成なども先生が一緒に取り組んでくれたそうです。

いかちゃんさんは母親にのみ相談しましたが、母親も大賛成ではありませんでした。

父親には反対されるとわかっていたため言えず、「友達の家に泊まる」と告げてこっそり夜行バスで東京へ向かいました。

スクールJCAのオーディションを受験し、その場で合格が決定しました。

そのまま住む場所も探して決定し、わずか12時間で事務所も家も決定したそうです。

数日後に父親に報告すると、予想通り猛反対されました。

長女で娘一人という環境だったため、父親は「店を継いでくれるんじゃないか」と期待していたそうです。

しかし、いかちゃんさんは「もう決めてきたから行かなきゃいけない」と強行突破しました。

いかちゃんさんが実家を継がず芸人の道を選んだ理由は、中学時代の文化祭で人を笑顔にする喜びを知り、高校時代にその想いが募り続けたためでした。

いかちゃんと父親との関係の変化

ガンバレルーヤ、東京ホテイソン…2018年ブレイク必至芸人は、この5組!(2ページ目) | 週刊女性PRIME
出典:週刊女性PRIME

父親の反対を押し切って芸人の道を選んだいかちゃんさん。

そんないかちゃんさんですが、父親との関係はその後どのように変化していったのでしょうか。

いかちゃんさんは「お父さんが笑ってくれたら認めてもらえた」と考えていました。

上京当初、いかちゃんさんは「親不孝なことをしているのかもしれない」と感じていたそうです。

「店を継ぐと匂わせて、急に裏切ったという気持ちがあった」と振り返っています。

父親の伊ヶ﨑一昭さんも当時の心境を「期待外れやった」と吐露しています。

2014年にスクールJCAに入学した後、最初はホームシックで母親にしょっちゅう電話していたそうです。

この時期が「一番辛かった」と振り返っています。

2014年から2016年9月まで、いかちゃんさんは前田明広さんと「イベリコ」というコンビを組んでいました。

しかし、前田さんの彼女が妊娠し、結婚のため引退することになり、コンビは解散しました。

2016年9月からピン芸人として活動を開始し、2017年9月2日に日本テレビ「メレンゲの気持ち」で今田耕司さんが「イチオシ芸人」として紹介したことがブレイクのきっかけとなりました。

そして、大きな転機が訪れます。

ABCテレビ「笑えない父と笑わせたい愛娘」という番組で、いかちゃんさんは実家の海鮮料理店で父親にネタを披露しました。

父親の伊ヶ﨑一昭さんは涙ぐみつつ大ウケしてくれたそうです。

父親は「全然裏切ったとか思っていないしね。娘が決めた人生だから」と語りました。

現在、父親は店に娘の写真や記事を貼るなど、完全に応援体制に変わっています。

いかちゃんさんは月に一度は必ず周南市に帰省し、2024年4月からは「しゅうなんおさかな大使」に就任して地域貢献活動も行っています。

いかちゃんさんと父親との関係は、当初の葛藤から、テレビ番組でのネタ披露をきっかけに和解し、現在は父親が娘の活動を応援する関係に変化していったようでした。

まとめ

今回はいかちゃんさんの実家や芸人になった経緯、父親との関係について見てきました。

いかちゃんさんの実家は山口県周南市で海鮮料理店「魚屋と食事処 いかざき」を経営しており、父親は料理人として地元で評判のお店を営んでいます。

いかちゃんさんは中学時代の文化祭で人を笑顔にする喜びを知り、高校の調理科に進学したものの芸人への想いが募り続け、父親に内緒で上京してオーディションを受けました。

父親の反対を押し切って芸人の道を選んだいかちゃんさんでしたが、テレビ番組で実家の店でネタを披露したことをきっかけに父親との関係は和解し、現在は応援してもらえる関係になっています。

「諦めないこと」「日々の努力を惜しまないこと」を大切にするいかちゃんさん。

将来は芸人がアルバイトできるご飯屋さんを開くという夢を持ちながら、故郷への恩返しとして「しゅうなんおさかな大使」としても活動しています。

これからもいかちゃんさんの活躍を応援していきましょう。

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