THE W 2025決勝進出で注目を集めている電気ジュースの藤本もふさん。
そんな藤本もふさんですが、芸人になる前は保育士として働いていたという異色の経歴をお持ちなのをご存知でしょうか。
なぜ安定した保育士の仕事を辞めて芸人を目指したのか気になりますよね。
今回は藤本もふさんの保育士時代や芸人を目指したきっかけ、そして現在の活動や目標について詳しく調べてみました。
電気ジュース藤本もふは芸人になる前は?

コンビ結成からわずか1年でTHE W決勝進出を果たした藤本もふさん。
そんな藤本もふさんですが、芸人になる前はどのような仕事をしていたのでしょうか。
藤本もふさんは芸人になる前、保育士として2年間勤務していました。
幼稚園教諭、保育士、小学校教諭の3つの免許を保有しており、保育系の短大または大学を卒業されたと推測されます。
具体的な学校名は公表されていませんが、奈良県出身ということから関西圏の保育系教育機関を卒業した可能性が高いでしょう。
保育士として働いていた経験は、藤本もふさんの人柄にも表れています。
穏やかで責任感が強く、温かく包容力のある雰囲気は、保育士時代に培われたものかもしれません。
実際に年下の芸人からも「もふ先生」と慕われており、元保育士らしい面倒見の良さが伺えます。
また、藤本もふさんの特技として「面白くない話もすごく面白そうに聞ける」という傾聴力が挙げられています。
これも保育士として子どもたちの話に耳を傾けてきた経験が活きているのでしょう。
藤本もふさんは保育士として2年間勤務した後、NSC大阪校42期に入学して芸人の道へ進みました。
安定した職業である保育士を辞めて芸人を目指すという決断は、相当な覚悟が必要だったに違いありません。
電気ジュース藤本もふが芸人を目指したきっかけ

元保育士という安定した職業から芸人へ転身した藤本もふさん。
そんな藤本もふさんですが、なぜ芸人を目指すことになったのでしょうか。
残念ながら、藤本もふさんが芸人を目指した具体的なきっかけについては公表されていません。
しかし、保育士として2年間働いた後にNSC大阪校42期に入学していることから、20代半ばで芸人への道を決意したことがわかります。
NSC42期は2020年頃の入学となり、コロナ禍世代として厳しい環境の中で芸歴を積んできました。
それでもピン芸人としてよしもと漫才劇場の劇場メンバーに選ばれるほどの実力を認められていたのです。
そして2024年7月、藤本もふさんは福沢葉さんと「攻略ガイド」というユニット名で活動を開始します。
M-1グランプリ2024では3回戦まで進出し、2024年11月22日に正式に「電気ジュース」としてコンビ結成しました。
コンビ結成には面白いエピソードがあります。
2時間のネタ打ち合わせ後、福沢葉さんがトイレの鏡で自分の鼻に大きな鼻くそが付いているのを発見したのです。
「2時間もこの鼻くそを指摘せずに見守っている藤本さんは、優しい人に違いない」とコンビ結成を決めたという笑えるエピソードがあります。
藤本もふさんは後に「葉ちゃん、鼻くそは教えてあげる方が優しさやで」とツッコミを入れています。
このエピソードからも、二人の仲の良さと藤本もふさんの穏やかな性格が伝わってきますね。
コンビ名の「電気ジュース」は、出囃子に選んだグループ魂の「君にジュースを買ってあげる」にちなんで命名されました。
NSC42期の藤本もふさんと43期の福沢葉さんという先輩後輩コンビで、お互いに穏やかで主張しすぎず尊重し合う関係性が特徴です。
藤本もふさんが芸人を目指した具体的なきっかけは公表されていませんが、コンビ結成の経緯は「鼻くそ」が繋いだという面白いエピソードでした。
電気ジュース藤本もふの現在の活動と目標

コンビ結成からわずか1年でTHE W決勝進出を果たした藤本もふさん。
そんな藤本もふさんですが、現在どのような活動をしており、今後どのような目標を持っているのでしょうか。
現在、藤本もふさんは大阪の劇場を中心に活動しています。
よしもと漫才劇場や森ノ宮よしもと漫才劇場などで、日常的な「あるある」ネタを関西弁で展開する漫才を披露しています。
藤本もふさんの落ち着いたツッコミと、福沢葉さんの独特なボケが絶妙にマッチしたテンポの良い漫才が特徴です。
2024年11月5日にはTHE W 2025の準決勝を突破し、決勝進出を決めました。
準決勝突破時、藤本もふさんは「バイトが辞めれそうでうれしいです」とコメントしています。
まだアルバイトをしながら芸人活動を続けている状況であることがわかりますね。
藤本もふさんにとって、THE W決勝進出には特別な意味があります。
2024年12月1日のよしもと漫才劇場でのイベントで、藤本もふさんは「今度テレビでネタさせてもらうんです。母に漫才を見せられるんで、それは本当にうれしい」とコメントしました。
藤本もふさんは両親が離婚しており、北海道にいる母親に漫才を見せられることが大きな目標だったことを明かしています。
THE W決勝がその夢を叶える舞台となるのです。
今後の目標としては、THE W 2025での優勝、アルバイトを辞めて芸人一本で生活すること、テレビでの露出を増やすことなどが挙げられます。
また、M-1グランプリやTHE Wなどの賞レースに積極的に挑戦し、関西から全国へ活動の場を広げていく方向性のようです。
SNSでの発信も積極的に行っており、準決勝突破時には「化粧も落とさず寝てました。まだこの顔してます」と飾らない喜びを表現していました。
こうした親しみやすさもファンに愛される理由の一つでしょう。
藤本もふさんの現在の活動は大阪の劇場を中心としたもので、今後の目標は母親に漫才を見せること、そして芸人一本で生活できるようになることでした。
まとめ
電気ジュース藤本もふは芸人になる前は保育士だったのか、なぜ芸人を目指したのかについて調べてみました。
藤本もふさんは芸人になる前、保育士として2年間勤務しており、幼稚園教諭、保育士、小学校教諭の3つの免許を保有していました。
芸人を目指した具体的なきっかけは公表されていませんが、コンビ結成は「鼻くそ」が繋いだという面白いエピソードがありました。
現在は大阪の劇場を中心に活動しており、北海道にいる母親に漫才を見せることが大きな目標となっています。
30歳で保育士から芸人へ転身し、コンビ結成からわずか1年でTHE W決勝進出を果たした藤本もふさん。
母親に漫才を見せたいという素直な想いと、相方との信頼関係を大切にする姿勢が、多くの人の心を掴んでいます。
THE W 2025決勝での活躍が楽しみですね。

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