多彩な才能で活躍中のヒコロヒーさん。
そんなヒコロヒーさんですが、若い頃はどのような経歴を歩んできたのでしょうか?
実は、意外な学生時代を過ごしていたようです。
今回は、ヒコロヒーさんの若い頃、特に学生時代に焦点を当てて詳しく見ていきましょう。
ヒコロヒーの学生時代

鋭い観察眼と圧倒的な芸力で注目を集めるヒコロヒーさん。
そんなヒコロヒーさんですが、高校時代はお笑い芸人になるつもりは全くなかったのでしょうか。
ヒコロヒーさんは、高校時代にお笑い好きになったものの、芸人を目指してはいませんでした。
「高校時代はガソリンスタンドでバイトしてて、そのままそこに就職しようと思ってたんですけど、どうしても親が大学に行ってくれということで進学しまして。ぜんぜん勉強してなかったので、自分でもようやりましたねって思います。学校の友達よりは地元の友達と遊んでる感じでした」
出典:ヴォ―チェ
むしろ、高校3年生の時にはガソリンスタンド社員として就職が決まっていたそうです。
しかし、親の要望で大学受験をすることになり、1校だけ受験して合格した近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻に進学しました。
大阪の大学を選んだ理由は、ミナミに憧れる気持ちもあったとのことです。
ヒコロヒーさんの学生時代は、当初の予定とは大きく異なる道を歩むことになったようでした。
ヒコロヒーと芸人への道
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独特の世界観で人気を集めるヒコロヒーさん。
そんなヒコロヒーさんですが、芸人になるきっかけは偶然の出来事だったのでしょうか。
ヒコロヒーさんの芸人への道は、偶然のスカウトと自身の決断によって開かれたようでした。
大学では、「勧誘してくれた先輩が男前だった」という理由で落語講談研究会に入部したヒコロヒーさん。
しかし、主に部室で麻雀をしたり漫画を読んでいただけで、学生芸人としての自覚はなかったそうです。
転機が訪れたのは大学2年生の時でした。
大学祭で急遽3分間のネタを披露することになり、それを見ていた松竹芸能のマネージャーにスカウトされたのです。
当時は芸人になるつもりがなく、名刺を軽く受け流していたヒコロヒーさん。
しかし、麻雀にはまりすぎて大学を留年してしまったことが人生の大きな転換点となりました。
麻雀好きで知られるヒコロヒーだが、学生当時も「毎日行ってた!頑張って朝起きて、今日こそ1限から行くぞって時に。門が、学校に入ろうとするでしょ…、その手前に雀荘があるので。朝9時前とかよね。ちょっとのぞいて打ってる人がいたりすると、『おっ…行くか!』っつって。門をくぐれずに雀荘の方に入っていってしまって』」と毎朝のように“誘惑”に負けていたと明かした。「だから、ワシの友達全員留年してたから。全員留年している」と告白していた。
出典:デイリースポーツ
「現役で卒業できないなら近道で就職するしかない」と考え、松竹芸能大阪養成所に特待生として入所することを決意したのです。
ヒコロヒーの若手時代

現在は多方面で才能を発揮するヒコロヒーさん。
そんなヒコロヒーさんですが、若手時代はどのような活動をしていたのでしょうか。
ヒコロヒーさんの若手時代は、大阪での地道な活動から上京後のテレビ進出まで、着実にキャリアを積み重ねていったようでした。
2013年春に大学を中退し、芸人活動に専念したヒコロヒーさん。
大阪で月15-20本のライブに出演するなど、精力的に活動していました。
同年12月には、道頓堀角座で初の単独ライブ「ヒッコロコメディショー」を開催しています。
そして2014年4月、ヒコロヒーさんは松竹芸能東京に所属を移し、上京しました。
上京後、『IPPONグランプリ』の全国一斉大喜利ペーパーテスト(1,603人参加)を勝ち抜き、『IPPONスカウト』に出演。
MCらから高く評価され、テレビ進出への足がかりを掴みました。
まとめ:ヒコロヒーの若い頃から見える現在の活躍の源
ヒコロヒーさんの若い頃は、予想外の展開の連続でした。
高校時代はガソリンスタンド社員を目指していたものの、親の勧めで大学に進学。
そして偶然のスカウトと自身の決断により、芸人の道を歩み始めました。
大阪での地道な活動を経て上京し、テレビ進出を果たしたヒコロヒーさん。
現在の多方面での活躍は、若い頃の様々な経験と決断が基盤となっているようです。
ヒコロヒーさんの今後の活躍にも、引き続き注目していきたいですね。
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